保存必須!「慢性肺疾患で在宅酸素」を行ったみきさんの出産エピソード♡
こんにちは!胎児発育不全だったため、お嬢を648gの超低出生体重児で出産したlala♪です。
胎児発育不全、切迫早産などで低出生体重児として産まれ、NICUに入院していた赤ちゃんは、退院する際に経管栄養や酸素を持ち帰ることになるのも珍しいことではありません。
経管栄養、酸素のいずれかの場合、もしくは経管栄養と酸素の両方である場合もあります。
今回の投稿では、実際に超低出生体重児を出産し、NICUを卒業した後、在宅酸素(医療的ケア)を行うことになったママさんの「みきさん」にインタビューさせていただきました!
ネットで検索しても、NICUを卒業した早産児の赤ちゃんが、在宅酸素の医療的ケアを実際に行っている様子や、詳細な情報をなかなか得られないため、今回のインタビューは非常に貴重な情報源だと考えます。(写真も提供していただきました!)
ハイリスク妊娠中の方や、在宅酸素を行う予定のママさん&パパさん、赤ちゃんが低出生体重児として産まれてNICUに入院しているママさん&パパさんにはぜひ読んでいただきたいです!
医療的ケア、なんだか怖い…
知識もなくて不安だし、私にできるかな?
と心配な方も、今回の記事を読んでいただくことで、少し安心していただくことができるはずですよ!
そして、みきさんの出産エピソード、本当に泣けました…。
(ご本人の許可を得て、みきさんは本名で、SNSの繋がりも公開して告知させていただいております。)
記事を書きながら、涙が止まらず。みきさんの妊娠&出産エピソードも貴重な情報ですので、ぜひシェアさせていただきますね♪(ハンカチ必須です!!)
※なお、今回特別にみきさんから貴重な写真の掲載許可をいただいているため、写真の転用は禁止とさせていただきます。
目次
出生当時の様子
最初に、みきさんのお子さんが出生当時、どのような状態であったかをお伝えいたします!
出生当時のお子さんについて
お子さんの誕生日 「令和4年3月15日」
●出産時の週数・・・25週3日
●身長・・・身長31.0cm
●体重・・・体重713g
●性別・・・男の子
出産予定日はR4年6月25日でしたが、実際は3カ月早い3月15日に生まれました。
学年が1つあがってしまったことに対して悔しく思ってしまったことをよく覚えています。
【lala♪の解説】
予想外に早生まれになってしまった早産児は結構多く、同年代のお友達についていけるか
心配のママさん&パパさんも多くいらっしゃるようです。
中には「就学猶予」を検討されている方も。
※「就学猶予」については、また今度記事にさせていただきますね♪
赤ちゃんが超低出生体重児だった理由
【切迫早産】
切迫早産になってしまった原因は大きく分けて2つでした。
①巨大絨毛膜下血種→絨毛膜下血種の巨大バージョン。胎盤と見間違えてしまうほどの大きさだったらしい。
②中隔子宮→子宮の形がハート形らしい。♡の上のくぼんでる部分が胎児の成長や動きを邪魔してしまい、これだけでも切迫早産となるらしい。(生まれ持ったものらしく、手術で形を治すことも可能だとか)
子宮の形が原因で切迫早産になってしまうのは驚きました!
さらに巨大な絨毛膜下血種が重なってしまったのですね。
二つの要因は別々だと思いますが、これらが重なってしまった結果、非常にハイリスクな出産となったのですね…
ちなみに、私も単一臍帯動脈&胎盤が小さい&プロテインSの数値が正常でなかったことが重なり、お嬢が病的に小さい胎児発育不全だったと考えられています。
\お嬢の出産エピソードはこちら/
他のハイリスク妊娠のケースを聞いても、ハイリスク妊娠の要因は一つではなく、いくつか重なってしまった方が、結構多い印象でした。
赤ちゃんの診断、疾患
・新生児特発性呼吸窮迫症候群
・新生児低血糖
・右脈絡叢嚢胞
・左脳室拡大・壁不整脈
・子宮内感染(疑い)
・高カリウム血症
・未熟児動脈管開存症
・新生児黄疸
・未熟児貧血
・晩期循環不全
・頸部脂肪芽腫疑い
・低ナトリウム血症
・敗血症
みきさんのお子さんは非常に多くの疾患と戦ってきました。
この多くの診断名を見るだけでも涙が出てきます…。
疾患の原因の多くは「早産児」特有の疾患です。
これから赤ちゃんを出産するハイリスク妊娠の方はご不安に思うかもしれませんが、全てが重度の疾患というわけではありません。
医療の力を借り、治療することで、予後に影響がない疾患も多いです。
一つ一つ疾患について説明したいところですが、今回はみきさんにお話しを聞いたいくつかの疾患と、在宅酸素の要因である「慢性肺疾患」を中心にお話させていただきます。
みきさんからお話いただいた疾患については、上記の診断名に、リンクを張らせていただきましたので、気になる疾患がありましたら、読み返していただいたり、先読みされたい方はリンクから飛んで読んでみてくださいね。
※「早産児&低出生体重児に起こりやすい疾患」として、たまひよのHPを参考にしていました。
もし、他の疾患についても詳しく知りたいという方は非常に参考になりますのでごらんください。↓
妊娠前の様子
みきさんのお子さんの疾患に触れる前に、みきさんご自身の妊娠中の様子がどうだったか、お伝えしていきます。
みきさんは妊娠前から赤ちゃんに出会うために、たくさんの努力をされてきました。
妊娠前の不妊治療
みきさんは無月経・無排卵で、多嚢胞性卵胞症候群(女性の出産期の卵巣に、影響を与えてしまうホルモン疾患)でした。
そのため、クロミッドを服用すると同時にHMG注射、HCG注射をしてタイミング療法で治療していました。
※クロミッド、HMG注射、HCG注射→「排卵誘発剤」
みきさんご自身の疾患
「潜在性甲状腺機能低下症」
潜在性甲状腺機能低下症は、妊娠中に流産や早産、妊娠高血圧症候群のリスクがあるとされていますが、治療によってそのリスクを軽減できる可能性が高いとされています。
みきさんは毎朝一錠チラージンを服用していました。
妊娠中の様子
お話を聞く限り、みきさんは非常にハイリスク妊娠でした。
そんなみきさんがどのように妊娠生活を過ごしたのか、どのような様子だったのか、など詳しくお話させていただきます!
とにかくつわりが酷かった
つわりは、初期が一番ひどかったですが、においつわりが強烈でした。
家の中の生活臭、わんこ、旦那、食器洗剤、洗濯洗剤、洗濯したあとの洋服のにおい、外の空気のにおい、何もかもがダメでした。
匂い防止のためにしていたマスクのにおいもダメ。
ですが、マスクしないよりはマシだったので我慢してマスクしてました。
ただ、ごはんの匂いは平気でした。
おいしい食事のにおいは全般的に大丈夫でしたが、実際食べるとなると、脂っこさで気持ち悪くなるからお肉NG、カレーもダメでした。
仕事中は、動かなきゃいけないからそれで気を紛らわせることができてましたが、※介護は生活臭だらけなので(汚物もあり)吐きながら仕事してました。
においつわりの影響で吐くことがほとんどでした。
※仕事は当時、介護職でした。妊娠初期は時短勤務に変更し、仕事をしていました。
ちなみに、お腹の赤ちゃんはとても元気でした!
妊娠中の経過
●妊娠4カ月に入った頃
仕事終わりにトイレに行くと出血(濁ったピンク色)があり、急遽病院へ。
診てもらうと、恐らく胎児が子宮の壁をひっかいてしまいそこから出血したのでは?とのことでした。
胎児には問題なかったため切迫流産の診断はされず、「性器出血」で3週間自宅安静。(初期は小さなクリニックに受診していました)
出血が止まり仕事復帰。
●そこから約一か月後の定期健診
子宮頚管が短くなってると指摘され、切迫早産で再び自宅安静。(里帰り出産のつもりで、実家近くの病院に転院しました)
●そこから更に一か月後の妊娠23週
自宅でゴロゴロしていたら突然大量出血に見舞われました。
バスタオルで抑えきれないくらいの大量出血で、更にお腹の張りも出てきました。
そのあと救急搬送された際に、初めて巨大絨毛膜下血種があることと、中隔子宮であることを告げられました。
今までの健診では何も言われていなかったのに…
その時点で妊娠23週。このときは搬送先の病院では見れないとのことで、他の大きな病院に転送されました。
緊急帝王切開をするかもと言われていましたが、点滴でお腹の張りも出血も落ち着き、そのままMFICUにて入院生活スタート。
ベッド上の絶対安静だったため、ほぼ動くことなく退屈に過ごしていました。
●MFICUに入院して二週間後
一時落ち着いていたお腹が、また張り出し、血種がまだ子宮内にあることから胎児への感染リスクが高く出してあげた方が良いとなりました。
25週3日の夕方に緊急帝王切開で出産
妊娠中を振り返って
絨毛膜下血種は妊娠初期で発覚し、入院するケースが多いようです。
そのため、今回私は定期健診にしっかり行ってたのにも関わらず気付かれなかったので、病院のせいにしていました。
病院のせいにしたところで、とは思うのですが…
もしかしたら、初期にあった出血が絨毛膜下血種の始まりだったのかなと思います。
妊娠中はつわりがしんどくて、早く10カ月経って生まれないかなって思ってました。
それと同時に、妊娠中は子どものために何か作ってあげたりしてのんびり充実した期間にしたいなとも。
だけど、そんな思いは叶えられず、ひたすら自宅安静の日々。
今思うと安静期間中に何か出来たのかなと思いますが、実際は気持ちが落ち込んだりして何もする気が起きず…。
ペットのわんこがいつも一緒にいてくれてたので、その子とただただ何もない一日を過ごし、退屈な毎日を送ってました。
急な大量出血に見舞われたとき、何事!?と驚いたと同時に、
私もお腹の子も死ぬのかな?
と真剣に思い、
私の今までの人生悔いはなかったかな。
お腹の赤ちゃん、生かしてあげれなくてごめん。
わんこや旦那、私がいなくなっても幸せになってね…
っていう気持ちが瞬間的に出てきて…。
その時から一年以上経った今も、当時のことを思い出すと鳥肌がたち涙が出てきます。
そんなことを考えていたかと思えば、入院期間中はベッド上での絶対安静だったので、部屋にこもりきりで何もすることが出来ず。
めちゃくちゃ退屈で早くここから抜け出したいという気持ちもあり。
色んな気持ちに振り回された時間でした。
切迫早産の方はベッド上での絶対安静、本当に過酷ですよね…。
私は切迫早産ではなかったものの、ハイリスク妊娠中、やはり様々な感情に振り回されました。
みきさんのお話で、私も当時を思い出して泣けてきました….
NICUでの様子
ここからは、みきさんのお子さんの話になります。
みきさんのお子さんは産後、NICU&GCUに入院しました。
●NICU&GCUの入院期間
NICU→2カ月半、GCU→1カ月半、トータル4ヵ月
(R4年3月→7月に退院しました。)
面会時の赤ちゃんの様子
入院中は、ほぼ寝てることが多かったです。(NICUでもGCUでも)
GCUでは周りで泣いてる子がたくさんいる中でも、息子は寝ていました。
そのため、面会でたまに泣いてる姿をみると、とても貴重な場面だったので愛おしすぎて癒されていました。
お嬢も、いつも大爆睡でした!笑
入院中の疾患について
●敗血症
鼻マスク(呼吸器)になってしばらくしてから、熱が出て何かしらの感染症にかかったと言われとても心配していました。
結果、ずっと鼻マスクをしていることによりそのチューブ内での細菌感染がおこり、それによる感染=敗血症だったとのこと。
トータル2週間ほどで落ち着いてくれたので安心したのを覚えています。
【lala♪の解説】
特に早産児は、体が未熟なため、感染症にかかりやすいです。
私の周りでもNICUいました。(感染経路が不明なこともあります)
NICUではカテーテルや点滴、チューブで菌が侵入してしまうことがあります。
私たちも、NICUに菌を持ち込まないように細心の注意を払いましょう。
●未熟児網膜症
・未熟児網膜症がわかった時期
R4年4月20日の時点で(修正30週)まだ身体が小さくてわからないとのことでしたが、5月19日にルセンティス注射してるのでその間だと思います。
未熟児網膜症については、先生から説明を聞いても分からないという感じでした。
後から思えばしっかり説明してくださっていただろうに、当時の私にはチンプンカンプン。
ですが最悪の場合失明の恐れもあるということを聞いた時は
ほんとに大丈夫なのかな!?
と不安が常にありました。
・未熟児網膜症の状態
ステージ1~5のうち、ステージ2でした。症状は軽い方で、注射1回で済むだろうと説明をうけました。
その病院では、注射を導入してから1年ほどで、息子が6例目だったらしいです。
うちの子の場合は、本当にありがたいことにルセンティス注射1回のみで済みました。
(↓注射したあと、眠りに入ってる息子。消毒液を塗られているため顔がオレンジ色に)
※注射後→(ルセンティス注射後)
・現在、未熟児網膜症の様子
退院して1カ月は、週一で眼科受診していました。
その後は12月(退院して約半年後くらい)まで月一。
次は2月、その次は5月。
その5月を最後に、次は一年後にしましょうとのこと。
状態は、少しずつ良い血管が伸びてきているとのことで、特に心配しなくてよさそうとのこと。
特に今後の視力についての話しはなく、現在生活する中で気を付けるべき点もないとのことでした。
慢性肺疾患と並んで多い、超低出生体重児の疾患が
「未熟児網膜症」です!
みきさんのお子さんもそうでしたが、軽度だったようです。
「未熟児網膜症」については、他の投稿でまた詳しくお話させていただきますね。
●フェンタニル過量投与(医療ミス)
未熟児網膜症のオペをする際、鎮静剤となるフェンタニルを希釈しないまま息子に投与してしまい、深い眠りに入ったことで目覚めるのに時間がかかってしまいました。
担当看護師に対しての主治医からの指示書の印字が薄く、それをしっかり確認しないままその看護師の感覚(?)で投与してしまったことでこのことが起こりました。
命に関わることではなかったから良かったものの、医療ミスなので担当医と看護師長から謝罪がありました。
オペをしたのが昼前で、最初の説明だとその日の夜までには目が覚めると聞いていたが、実際は次の日の朝に目が覚めました。
【lala♪の解説】
ブログでお伝えしたことがありますが、
実は、お嬢も薬の過量投与(摂取すべき量の10倍を投与)で医療ミスを受けています。
医療ミスはドラマの世界ではなく、身近に起こりえることなので、
疑問に感じることがあれば医師や薬剤師に、躊躇なく質問し、確認することが大切です!
\お嬢が医療ミスを受けたことについてはこちら/
願いを込めて
6月の終わり頃だったと思いますが、NとGの入り口に笹と短冊が置いてあり、自由に書いて飾っていいとのことだったので、旦那と一緒に面会に行ったときに願い事を書いて飾りました。
そのあとに退院日の目途がたったので、とても嬉しい気持ちになったのを覚えています。
慢性肺疾患について
みきさんのお子さんは、「慢性肺疾患」という疾患のため、退院後も酸素投与を自宅で行うことになりました。
ちなみに経管栄養はなしで退院。ミルクもたくさん上手に飲めていたとか!(超低出生体重児の赤ちゃんは、私を含めミルク拒否で悩んでいるママさんが多いので本当にすごいです…)
慢性肺疾患とは
早産児には非常に多い疾患。
慢性肺疾患とは、早産で生まれた赤ちゃんの肺がダメージを受けてしまった状態のことです。
赤ちゃんは人工呼吸器(ハイフロー、鼻マスクなど)で呼吸を補助していきますが、人工呼吸器が肺を傷つけてしまうこともあります。
その結果、赤ちゃんは酸素を長時間必要とするようになります。
この状態が長く続くと、「慢性肺疾患」と診断がつきます。
日本では超低出生体重児の約半数以上が「慢性肺疾患」の診断を受けていると言われています。
(極低出生体重児、低出生体重児は慢性肺疾患の発症率が減っていきます。お嬢も低出生体重児として生まれましたが、超低出生体重児のリスクがどれだけ高いのか、わかりますよね…。)
退院後も在宅酸素で呼吸のサポートを必要とする早産児&低出生体重児の赤ちゃんがいますが、その多くは約1年以内で酸素が外れることが多いです。
●慢性肺疾患を医師から告げられた、みきさんの当時の心境
医師から告げられた「慢性肺疾患」については、
特にショックであったり、不安だったりはしませんでした。
とにかく成長して肺を大きく強くしていかないと、と言われていたので本人の成長を信じるのみでした。
在宅酸素について
在宅酸素をしていたみきさんのお子さんは、どのような種類の酸素装置や、酸素ボンベを使っていたのでしょうか。
お子さんは退院後、常時(24時間)酸素投与が必要な状態でした。
・酸素装置や、酸素ボンベの種類
・酸素の設置や使い方
・酸素の業者とのやり取り
など、詳細をお伝えいたします!
使用していた「酸素」の種類
まず、みきさんのお子さんが、どのような「酸素の装置や酸素ボンベ」を使用していたのかお伝えいたします。
みきさんが酸素に関する写真をたくさん送ってくださいましたので、写真を交えながら詳しく解説していきます!
みきさん!よろしくお願いします!!
了解です!
まずは、どこで酸素のレンタルをしていたかお話しますね!
酸素のレンタル先について
「株式会社エバホームケアサービス」という名古屋市に本社を構える会社で、息子の病院と提携してるところでした。
私が酸素のレンタル会社を探すことは一度もありませんでした。
病院と提携している業者を紹介してもらえるのですね!
続いて、みきさんが利用していた「酸素の装置や酸素ボンベ」についてです!
①設置型の酸素濃縮器「オキシウェル3A」
リビングに常に置いておくもの。
コンセントがさしてあり、それが電源となってました。
業者さんしか動かせない(おそらく、火気厳禁で業者さんが目でみて安全だという位置を徹底したかった、酸素装置が重いなどが理由)ので、息子退院後すぐに家に来て設置してもらい、酸素卒業となった時も業者さんが撤去作業しにきていくれました。
なるほど!
一度設置すると自分では動かせない可能性があるんですね。
電源が取れる場所で、酸素の設置場所をあらかじめ決めておく必要がありますね!
②携帯用酸素ボンベ「タッチワン」+(調整器→タッチワンソロ)
携帯用酸素ボンベは外出時に利用する酸素です。
担当の業者さんは、酸素ボンベを一度に3本までしかレンタルできないという決まりがありました。
そのため、なくなりそうになったらその都度電話して持ってきてもらっていました。
(レンタルされた3本のうち2本が空になったら、その都度電話して翌日に新しいボンベを業者さんに持ってきてもらっていました。)
※調整器の「タッチワンソロ」は、酸素ボンベ「タッチワン」に取り付けて、酸素チューブを通し、お子さんに酸素を投与する装置のことです。
「ワンタッチソロ」はその名の通りワンタッチで着脱することができ、流用ダイヤルも大きいので操作がしやすいようです。
酸素ボンベの酸素がなくなると、
なくなった酸素ボンベに酸素を補充するわけではなく、
新しい酸素ボンベと交換になります!
業者さんとの連携が必須ですね!
●外出時「酸素ボンベ」の運び方
酸素ボンベ専用のカバンがあり、それに酸素ボンベを入れて、チューブもつけかえてから、
片手に息子を抱っこし、反対の片手にボンベを持って車やベビーカーにのせてました。
車のとき→チャイルドシートの下に酸素ボンベを横に倒しておく。
ベビーカーのとき→ベビーカーの下の荷物入れに酸素ボンベを横に倒して入れる。
ベビーカーを選ぶ際、酸素ボンベを入れるため、
下に荷物入れられるベビーカーを選ぶのがポイントですね!
(ベビーカーの荷物入れの耐荷重も、要確認です!)
抱っこ紐のとき
息子の首が座ってきて、散歩で抱っこ紐を使うようになってからは、カバンにいれた酸素ボンベ専用のキャリーがあったため、
酸素ボンベ専用のキャリーに酸素ボンベをのせて、コロコロと片手で引きながら散歩してました。
(↑実際に使っていたものと同じものの写真です)
酸素ボンベを入れるカバンはショルダータイプ。
キャリーもボンベ専用のものなのでスリムな形。
ショルダータイプのカバンにベルトがついていたので、キャリーに取り付けるときはそのベルトで固定していました。
※ベビーカーや車にのせるときは、キャリーにはのせずカバンのみでのせてました。
●使用していた酸素ボンベの重さと酸素の流量
使い始めのときは、1本で1.1Lの小柄な酸素ボンベでした。
ですが、受診で丸一日外出するときにそれ1本だけじゃ足りず、2本持参していってました。
(1.1Lで0.25の流量で8時間くらいしか持たなかった)
2本持参するのが余分な荷物が増えて重さもあるししんどかったので、業者さんにお願いして1本2.0Lの少し大きい酸素ボンベに変更してもらいました。
軽いものを2本持参するより、少し重いけど1本のほうが割と身軽に感じてました。
(2.0Lで0.25の流量で14時間くらい持ってた)
息子の酸素の流量は、退院時からずっと0.25でした。
そうなんですね!酸素ボンベの重さを選ぶ際に参考になります!
担当の業者さんは、酸素ボンベを一度に3本までしかレンタルできないという決まりがあったようなので、
私ならみきさんと同じように、重くても大きめの酸素ボンベをレンタルしたいところです!
パルスオキシメーターについて
続いて、「パルスオキシメーター」についてです。
在宅酸素となれば、酸素装置と併せて「パルスオキシメーター」が必須になります。
一時期、コロナ禍でパルスオキシメーターの利用や購入が増え、不足していたことで話題になりましたね。
パルスオキシメーターとは、指先や足先につけて血中の酸素飽和度 (SpO2※) を計るものです。
※サチュレーション。96~99%くらいが一般的には正常値。それ以下は低酸素状態と考える。
パルスオキシメーターで早産&低出生体重児だった赤ちゃんが、低酸素状態でないか、数値の確認が必要になります。
訪問看護師について
退院時、在宅酸素や経管栄養など、医療的ケアが必要となった早産児&低出生体重児の赤ちゃんだと、訪問看護ステーションと契約でき、訪問看護師が週に何回か来てくれます。
早産児&低出生体重児の赤ちゃんの様子や、困っていることなどあれば、相談にのってくれる強い味方です!
退院当時から
R4.7月~8月→週3日(月・木・金)
8月~1月→週2(月・金)
1月~現在→週1(金)
のペースで来てくれました。
現在は酸素卒業しましたが、もう少し様子をみたいとのことでもう少しお世話になることになっています。
ちなみに医療的ケアがなくても、主治医の意見書があれば
訪問看護ステーションと契約できます!
お嬢は摂食に難ありだったため、訪問看護ステーションと契約し、
STが摂食の様子を見に来てくれています!!
お子さんの医療的ケアの様子
●酸素について
(↑業者さんが回収しに来る前に、記念撮影)
酸素が外れるまでの経過は、「常時酸素→日中酸素オフ→終日酸素オフ」という感じでした。
R4.7月~12月(子どもが退院して約半年間)→常に酸素が必要でした。
それ以降は、特に呼吸状態が悪くなるなど何もなかったので、日中のみ外して過ごしてみようということになりました(同時に入浴中も外してOKでした)。
その後、日中のみ外して過ごしていても風邪などひかずにすごせていたので、2月頃(退院して約8カ月頃)から夜も外して過ごせることに。
まだ寒い時期ということもあり、何かあったときのためにと酸素の処方はし続けていて、その後も何も問題なかったのでR5.6月1日に酸素卒業しました。
●パルスオキシメーターについて
R4.7月~11月(子どもが退院して約5カ月間)→常につけていました。
11月以降は、子育て支援センターに通い始めたので、そのときは外して、家にいるときはつけてました。(外出時の荷物になってしまうのがしんどくて、私の独断でした)。
日中のみ酸素を外して過ごすようになってからも、外出時はつけず、家ではつける。
終日酸素を外して過ごせるようになってからは、外出することが増えたこともあり全くつけず、家でもつけなくなりました。
一週間に1回くらいのペースで少しだけつけて数値をみていたくらい。
何かあればチアノーゼが出るし普段の様子をしっかりみていたし、訪問看護師さんとも常に連絡がとれる状態だったので特に不安などはありませんでした。(私の仕事柄、介護だったので、緊急時の判断など冷静に対応できる自信があったので)
医療的ケアで大変だったこと
常に酸素のチューブをつけてないといけないのに、本人は顔についてるのが嫌で嫌で、酸素のチューブを自分で外してしまっていたことです。
優肌絆テープ(ゆうきばん)でチューブを顔に貼り付けていましたが、肌に優しい分すぐにはがれてしまうし、それでも繰り返しはったり外したりしてるので肌も荒れていました。
(優肌絆テープは入院中に病院で使っていたもので、病院内のコンビニに売っていたのでそれを沢山買いだめして使ってました)
沐浴やお風呂でもチューブをつけてないといけなかったので、10mにセッティングしてもらっていたチューブをひたすら延ばしてお風呂に入ってました。
チューブが邪魔だったぶんしっかり隅々まで洗ってゆっくり入ることができず、入る前と出た後もチューブが足元を邪魔して転ばないように、息子の顔の酸素がはずれないように、常に気にしながらの出来事だったので中々しんどかったです。
移動可能距離は、酸素装置から直径10mの範囲ということになりますね…。
(酸素装置は業者しか動かすことができないので、移動NG)
これはなかなか大変!!テープで肌もかぶれてしまうのは想定外でした。
自分で酸素チューブを外してしまうのは、本当にあるある話で、
悩みの種なんですよね💦
そうなんです!!
最初は幅が細目のテープをはってましたが、それだけだとすぐ外れてしまうので、バッテンにしてみたり、わざと幅が太いテープを買ってべたっとはってみたり…
一番取れにくかったのは、バッテンにしたパターンでした。
写真ありがとうございます!
赤ちゃんが酸素チューブ抜いてしまうことでお悩みの方、
ぜひやってみてくださいね♪
ちなみに、入浴の写真で赤ちゃんのお腹にガーゼが貼ってあるのは、「臍ヘルニア(デベソ)」の治療のためです。
(お嬢も臍ヘルニアです!)
退院して2週間経った頃からおへそが大きくなり始めて(たこ焼きくらい大きかった)、約3ヶ月弱くらいガーゼで押し込んでいました。
その後のエコーで、腸はもう閉じているから…とのことで、ガーゼを外しましたが、そのままずっとデベソです!
手術も2歳からしかできないので様子見です。
私もお嬢の臍ヘルニアを見て、とてもビックリしました!笑
ですが、早産児あるあるなんですよね!
臍へルニアについてはこちらの記事にまとめていますので、
ぜひご覧くださいね♡
\臍ヘルニアの記事はこちら!/
日常的に気を付けたこと
毎日こまめに息子の顔・手・足を拭いて、菌除去につとめてました。
私と旦那もこまめに手洗いうがい、アルコール消毒をしてました。
部屋の中も、毎日朝晩隅々まで掃除。
ペットの犬(室内犬)がいるので、接触しないように心掛けてました。
菌除去を徹底していたからか、一度も風邪ひいたりして入院になったことはありません。
鼻水がズルズルでて風邪っぽいかも?と思うときはありましたが、耳鼻科で鼻水すってもらったり薬をもらって飲んだら数日で治ってたので体調変化は特に大きいものはありません。
熱もまだ一度も出たことはありません。(R5.7月現在)
外出について
外出がとにかく億劫だったので、一番遠くてもフォロー受診のみ。
外出先で何かあったら怖かったので、受診・散歩・支援センター以外の外出は一切していませんでした。
風邪に気を付けてねとほぼ毎回言われていたことで、私たち親は少しビクビクしていたというのもありますが、息子つれてショッピングモールや人混みの多い場所に行くことはまだ経験していません。
出かけられなくて退屈と思うよりも、息子に大変な思いをさせたくない思いのほうが強かったのです。
そのため、慢性肺疾患や在宅酸素を経験されるご家族の方には、出かけられなくて辛いと考えるよりも、散歩を長めにしてみるとか、家の中で楽しめることとかを考えて、家族の思い出を作っていくほうが安心なのかなと思います。
ある程度心配がなくなってきてからでも、どこか出かけるのは遅くないのかなって思います!
現在の様子
検診については、月一でフォロー受診に行ってます。
ほぼ毎回、慢性肺疾患だったから風邪には気を付けてねと言われています。
今は、生後1歳3カ月、修正で一歳を迎えました。(R5.7月現在)
発達がかなり遅れてるので療育の話しがでているところです。
それでも少しずつ出来ることは増えていて、支援センター繋がりで友達もたくさん出来ていますし、ほぼ心配していることはありません。
毎日ニコニコして家族に幸せを振りまいてくれています。
本当にかわいいお子さんで、笑顔に癒されます…♡
みきさんの育児グッズ
みきさんが使っていた育児関連グッズを少し紹介します!
NICU&GCUを卒業した早産児、低出生体重児の赤ちゃんを迎える際に、ぜひ検討してみてくださいね。
●使っていたベビーカー
「SmartAngel(西松屋) ベビーカー デ・ヨーネ レジェ e NAVY」
酸素ボンベを収納カゴ(下)に乗せて、お散歩で使用していたベビーカーです。
5kgまで収納できる大きなカゴなので、酸素ボンベも安心して載せられます。
赤ちゃんを抱っこしたまま、片手でも簡単にベビーカーを開閉できるので、酸素ボンベを設置するときなどに向いています!
\楽天で購入できます/
●おすすめのおもちゃ
「アンパンマン 赤ちゃん泣きやませサウンド付き アンパンマンメリー」
退院してしばらく、ベビーベッドに装着できるアンパンマンのメリーをよく使っていました。
音楽も鳴るし、メリーにとりつけるアンパンマンたちは一個一個シャカシャカと音がなるのでそれで遊んだり、お歌を歌ってあげたりしていました。
\本当に赤ちゃんが泣きやむ!/
リトルベイビーや、リトルベイビーのママさんたちに向けて応援メッセージ
私自身、息子が入院中に、
本当に大きくなるの?
本当にGCUにいけるの?
本当に退院できるの?
という漠然とした不安は常にありました。
ですが、退院した日はもちろん、1歳の誕生日を迎えた日も、何も心配しなくてよかったのかなと思うくらい、大きくたくましく成長していってくれてます。
インスタグラムなどでも、先輩ママさんからの言葉がかなり励みになっていました。
そのため、ここで今しんどい思いをしている早産児、低出産体重児のママさんたちに伝えたいです。
早産児、低出産体重児の赤ちゃんのことで、心配すること、不安になることは本当に尽きないと思いますし、辛い現状があると思いますが、
それよりも今はぜひ、赤ちゃんの生命力・生きる強さを信じてほしいです!
リトルベビーは、小さく生まれた分強く生きようとする力が誰よりも強いです。
私も実際に先生に言われました。
実際に我が子と過ごしてきて、本当に強くてたくましい姿だと感じることが多かったです。
正産期で産めなかったことを責めないでください。
リトルベビーを生まなければ知らなかった世界がここにあります。
リトルベビーの出産を経験したからこそ分かることが沢山。
そしてそこで繋がる沢山のママさんたち。
私たち親の世界・夢が広がります!
こんなこと、正産期で出産してたら絶対思えなかったことです!
辛いときもあると思いますが、時には
「大丈夫。絶対に大丈夫」
と自分に言い聞かせてみて、
今、一生懸命頑張ってる我が子を信じてくださいね。
みきさんの現在の活動
みきさんは愛知県の三河地区在住。
愛知県は広くて、リトルベビーサークルに所属しているものの、三河地区ではなかなかリトルベイビーのママさんと交流できる場所がなかったとのこと。
そこで、愛知県の三河地区でリトルベビーのママが集える場所を作ろう!と、LINEのオープンチャットを作成しました。
愛知県の三河地区在住のリトルベビーママさん、ぜひお待ちしております♪
\↓詳細はこちらのインスタで♡/
まとめ
今回は超低出生体重児のママさんで、在宅酸素を行ったみきさんにお話しを伺いました。
在宅酸素に関する知識や、酸素が外れるまでの経過を詳しくお伝えすることができました。
みきさん、本当にありがとうございました!
「大丈夫。絶対に大丈夫。
今、一生懸命頑張ってる我が子を信じてくださいね。」
というみきさんの言葉、何度読んでも涙が出てしまいます…!
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